第3回MeDi-B’AIシンポジウム「メディアの現場はどう変わるのか?――AIとフリーランス新法」報告

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主催:メディア表現とダイバーシティを抜本的に検討する会(MeDi)
共催:東京大学 Beyond AI研究推進機構 B’AI Global Forum
日時:2024年11月16日(土)13:00~16:10(三部制)
会場:東京大学本郷キャンパス 情報学環・ダイワユビキタス学術研究館 3階 大和ハウス石橋信夫記念ホール
言語:日本語

 2024年11月16日、第3回MeDi-B’AIシンポジウム「メディアの現場はどう変わるのか?――AIとフリーランス新法」が、東京大学本郷キャンパス 情報学環・ダイワユビキタス学術研究館3階 大和ハウス石橋信夫記念ホールで開催された。

 今回のシンポジウムは、2024年11月に施行された「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律」(以下、フリーランス新法)と生成AIの問題に着目し、日本のメディア産業従事者の人権とメディア文化のあり方を再考するのが狙い。

 第一部「変わりゆくメディア業界に関する問題提起」では現場で働く人々の視点から、第二部「解決に向けた知識の共有」では研究者の視点からメディア産業の現在地について報告され、第三部ではその内容を踏まえたパネル討論が行われた。



第一部 変わりゆくメディア業界に関する問題提起


総合司会 大下香奈(フリーアナウンサー/ボイス・スピーチトレーナー)

<趣旨説明>
林香里(東京大学理事・副学長/大学院情報学環教授/MeDiメンバー)

<登壇者>
浅田智穂(インティマシーコーディネーター)
池田鮎美(性暴力被害者/元ライター/ポリタスTV MC)
佐藤大和(レイ法律事務所 弁護士)
長谷川朋子(ジャーナリスト/株式会社 放送ジャーナル 取締役)
李美淑(大妻女子大学 准教授/MeDiメンバー)
白河桃子(相模女子大学大学院 特任教授/MeDiメンバー)★モデレーター

 初めに、東京大学理事・副理事長の林香里氏による趣旨説明が行われた。

 メディア産業では、過重労働やハラスメント、不透明な商慣行など多くの問題が存在し続けてきた。そこで犠牲になってきたのは、性別や教育、雇用形態等によるマイノリティたちだ。昨今のメディアにおける事件からは、メディア企業で「多様性尊重はメディア文化の要である」という意識が低く、その制作現場に仲間内での効率主義、同質性の高い内向きな職業文化が残っていることがうかがえる。

 こうした背景のもと、フリーランス新法や生成AIはメディア産業にどんな影響を及ぼし、どうすればマイノリティの人権の尊重や労働環境の改善に寄与できるのだろうか。第一部では、現場で働く人々の視点からメディア産業の現状と課題を考える。

「セクシー田中さん」問題から考えるメディア表現における「ガラスの天井」

 2024年1月、ドラマ『セクシー田中さん』(日本テレビ系)の原作者、芦原妃奈子氏が急逝した。背景にはドラマ脚本をめぐる原作の改編トラブルがあったとされ、その後、日本テレビと小学館はそれぞれ制作過程の調査報告書を公開。元ライターの池田鮎美氏は、これらをもとにメディアにおける課題を提示した。

 池田氏はまず、複数ある改変トラブルがジェンダー問題にまつわるものだったことを指摘した。例えば、原作の主人公の「父親のリストラにより、弟を四年制大学に行かせるために進学先を四年制大学から短大に変更した」という設定は、ジェンダーバイアスにより会社に隷属させられる男性の痛みと、性別を理由に教育の機会を失う女性の痛みを描いたと考えられるが、これを日本テレビ側は「父親の会社が不景気に陥り、制服がかわいい私立高校に行きたかったが諦めた」と改変(その後芦川氏は改変を拒否)。ここからは、日本テレビ側のジェンダーに関する知識不足が芦川氏とのすれ違いを生んでいたと推察される。

 2つの報告書で芦川氏は「難しい作家」と呼ばれることから、メディア業界では表現者が作品を守ろうとする当然のこだわりを扱いにくさとして受け止める風土があると考えられる。池田氏は、今回と同じ悲劇を生まないためには、組織に対して個人の立場が極端に弱い、映像化の際に原作者を守る仕組みがない、ジェンダーや性差別を軽く見るなどのメディアにおける構造と風土を変えていく必要があると述べた。

同意と選択肢、インティマシーコーディネーターの目線から

 2017年にアメリカで誕生したといわれるインティマシーコーディネーター(以下、IC)は、2021年にNetflixの映画で日本に導入された。日本初のICである浅田智穂氏は、日本の映像制作現場における同意と選択肢のあり方について問題提起した。

 ICとは、映像制作などにおいてインティマシーシーンと呼ばれるヌードや性的な描写のあるシーンで、俳優の身体的、精神的安心安全を守り、かつ監督の求めるビジョンを最大限実現するためのサポートをする仕事である。

 日本には欧米のような俳優組合がなく、映像制作に関する規則もないため、俳優やスタッフの人権は無碍にされがちだ。日本人は曖昧さを好み、特に真面目で周囲を気遣う人ほど「NO」を言うのが苦手な傾向もある。そのため、監督が望んだ表現を不本意ながらに演じる俳優も少なくないはずだと浅田氏は指摘する。

 一方で、インティマシーシーンの表現に関する話し合いと同意、選択のプロセスは俳優たちの演技に対する自信と責任感を生み、いい作品作りにつながっていると浅田氏は感じている。

 映像業界には、ICの導入という形で同意の文化が芽生え始めている。しかし、制作スタッフが悪条件での契約や事前に報酬額や拘束期間を知らされない業務の受託を余儀なくされているのも事実だ。いい作品作りのためには、スタッフの労働環境の早急な改善もまた重要な課題である。

米ドラマ「SHOGUN」旋風は日本のメディアをどう変えるのか?

 2024年、日本の戦国時代を舞台にしたDisney+のドラマ『SHOGUN/将軍』が世界的に大ヒットした。ジャーナリストの長谷川朋子氏は、本作のヒットから日本のメディアに求められる変化について考察した。

 『SHOGUN/将軍』は、ハリウッドにおける「コンテンツの多様性」と「制作クオリティの重視」の推進の中で生まれた成功事例だ。世界の約1.5%の人にしか使われていない日本語のドラマが評価されたのは、900ページに及ぶ日本の歴史・文化のマニュアル本を作るなど「オーセンティシティ」へのこだわりがあったゆえんだろう。

 米国では、Netflix、Amazon Prime Videoなどのグローバルストリーミングサービスによる国内コンテンツへの投資額が、約270億ドル(約4兆3000億円)に上る。国外オリジナル制作コンテンツへの投資も拡大しつつある。世界各国のメディア市場に大きな影響を与え、同時に各国の製作環境も変化。韓国ではNetflix『イカゲーム』のヒット以降、撮影時などの労働時間に制限が設けられている。

 他方で日本のメディア業界は、テレビ局が市場をほぼ独占。番組の供給過多に対してテレビ広告費と制作費は減少傾向にある。

 長谷川氏は、日本のメディアが『SHOGUN/将軍』のような世界的ヒット作を生むには、世界各国で行われているような労働環境と制作クオリティの双方への投資が必須だと指摘。そのために、多様性重視に向けた意識改革と、既存のルートにこだわらない資金調達の力もまた求められている。

「フリーランス新法」のメディア分野の実務へのインパクト

 芸能人やクリエイターなどの人権や権利問題に取り組むレイ法律事務所代表弁護士の佐藤大和氏は、フリーランス新法の影響と課題について報告した。

 フリーランス新法は、フリーランスの働く環境を改善するため、取引条件の適正化と就業環境の整備について定めた法律だ。これは契約当事者の確定、取引の透明性、支払遅延問題の解決、ハラスメント防止義務など働く環境の是正、買いたたき禁止など取引関係の是正といった影響がある一方で、施行前からフリーランス新法の適用を避けるための不利な契約書の締結や契約解除などといった事態も起きている。

 フリーランス新法には多くの課題もある。例えば、取引が複雑で多重下請け構造になりがちなメディア分野で、二当事者間での適用を前提としたフリーランス新法をどう適用させるか。また、フリーランス新法の「業務委託」に該当しない業務も多いメディア分野で業務委託性をどう考えるか。そもそも日本においては、実演家やクリエイターに適切に対価が還元されるための適切な法制度がないという問題もある。

 これらを解決するためには、各法分野の学者、実務家、現場がディスカッションをし、法改正や特別法の制定に持ち込む必要性があると佐藤氏。同時に、日本の文化を変えるため、学校教育の中で自らの権利を知り、それを交渉等で守る方法を学ぶことも必要だと話した。

AI時代の人間の労働:多様性とジェンダーの視点から

 大妻女子大学准教授の李美淑氏は、AI時代の人間の労働について発表。急速に発展し普及する新しいテクノロジーが人間の労働に迫る変化と、ジェンダーや多様性の視点から見た課題について報告した。



第二部 解決に向けた知識の共有

<登壇者>
北出真紀恵(東海学園大学 教授)
橋本陽子(学習院大学 教授)
山﨑俊彦(東京大学 教授)

 第二部は、メディア産業の構造と周縁性、フリーランス新法、生成AIのメディア産業への影響について、各分野の研究者が報告した。

フリーランス、女性、地方――複数の周縁性が交差する場所で――

 東海学園大学教授の北出真紀惠氏は、放送メディアの構造と周縁性について報告した。

 現在、テレビ番組の多くは放送局からテレビ制作会社への外注によって制作され、その取引は放送局から大手テレビ制作会社へ、中小の制作会社へと外注を重ねる多重下請け構造になっている。各企業には多様な労働形態があるが、そのもっとも周縁に置かれるのがフリーランスだ。また番組制作会社内には性別の格差もあり、女性の従業員比率は制作会社の規模が大きくなるほど低い。契約形態としても、女性は非正規雇用やフリーランスが多い。

 そもそも放送メディアには地域格差がある。テレビ番組の多くは東京で制作されるため、東京と地方では産業の規模、制作費の規模が大きいのだ。さらに地方には地方の多重下請け構造もある。

 職種の中で周縁に置かれているのがアナウンサーだ。性別や局勤務か否かを問わず、アナウンサーはプロデューサーなどからの発注によって仕事を得ている。そのため「人気アナ」以外は、事務作業や地味なアナウンス業務が主な仕事になる。

 放送メディアでは周縁的な属性を持つ人たちは、不利な契約やハラスメントの対象となってきた。さらに今、別の危機が迫っている。例えば、地方に多く存在する知名度の低いフリーランスの女性アナウンサーは、定時ニュースや局制作CMのナレーション、営業がらみの司会など、地味だがメディアに必要不可欠な業務を担ってきた。しかしそれらの仕事は今、AIアナウンサーに取って代わられつつある。

フリーランス新法と今後の課題

 労働法を研究する学習院大学教授の橋本陽子氏は、フリーランス新法の概要と課題について発表した。

 フリーランスとは「実店舗がなく、雇人もいない自営業主や一人社長であって、自身の経験や知識、スキルを活用して収入を得る者」を指し、フリーランス新法はこれまで労働法、下請法の対象とならなかったフリーランスの保護を目的としている。まず、発注事業者に(1)取引条件の適正化を義務づけ。フリーランスとの取引に、業務委託開始時の書面などによる成果物の内容、報酬額、支払期限などの明示、成果物の納品から60日以内(再委託時は30日以内)の報酬の支払い、買い叩きや報酬の減額、不払い等の禁止が定められた。

 次に(2)就業環境の整備として、発注事業者には募集広告等に関する情報の虚偽の禁止、育児介護と業務行為の両立への配慮、ハラスメント対策等に関する体制整備、業務委託を中途解除する際の30日前までの予告を義務づけ。(1)(2)に違反した場合の対応と、国がフリーランスの相談対応などに取り組む旨も定められている。

 橋本氏はフリーランス新法に、全フリーランスの契約関係に行政による監督が認められたという意義を認めつつ、その保護内容はすでに認められた範囲内にしかないと指摘。企業に雇用される「労働者」とフリーランスとの格差も現存し、例えば労働法は雇用主の不当な解雇を禁じるが、フリーランス新法はそれを禁じていない。またフリーランスには社会保障もない。

 これからの課題は、フリーランスの労働者性をどう考えるかだ。法によるフリーランスの保護を進めるためには、学術的な研究の発展とともに、フリーランス側が自身の働き方が法でどう規定されているのか自覚することも必要だろう。

生成AIの最前線~AI研究者の視点から~

 AIの研究者である東京大学教授の山﨑俊彦氏は、現在生成AIを使ってどんなことができるのか、取り組むべき課題は何かなどについて報告した。



第三部 パネル討論

<登壇者>
池田鮎美(性暴力被害者/元ライター/ポリタスTV MC)
北出真紀恵(東海学園大学 教授)
森崎めぐみ(俳優/一般社団法人 日本芸能従事者協会 代表理事)
浜田敬子(ジャーナリスト/一般社団法人デジタル・ジャーナリスト育成機構代表理事/MeDiメンバー)
田中東子(東京大学 教授MeDiメンバー)★モデレーター

 第三部では、第一部、第二部の内容を踏まえてパネル討論が行われた。

フリーランス新法はフリーランスを守れるのか?

 昨今、メディアでは労働問題やジェンダーの問題が積極的に報道され、コンプライアンスに対する意識も高まっている。しかし一方で、その社内体制や労働環境は未だ旧態依然としたままだ。

 一般社団法人 日本芸能従事者協会代表理事の森崎めぐみ氏によれば、芸能従事者のほとんどはフリーランスのため取引の上で人権が守られにくく、前日に仕事が決まる、ずさんな内容の発注書、契約書に現場で判を押すといったことが常態化している。そこにフリーランス新法が正しく適用されるかは未知数だ。

 池田氏は、過去にフリーランスのライターとして活動していたが、取材中に性暴力を受け、キャリアを中断している。氏はガルトゥングの「平和学」を引用しながら、メディアにおけるジェンダー不平等やフリーランス差別などは、その構造、文化を守るためにあるのかもしれないと述べる。

 また、個人の才能や創意工夫が尊重されるべきクリエイターを守るには、フリーランス新法だけでなく、著作者人格権の議論も必要だろう。池田氏は、「クリエイター自身も人格権に関する部分に対価を求めるべきでは」とも話した。

AIは人間を助けるのか? 人間から何かを奪うのか?

 AIは、すでにメディア産業の労働を変えつつある。例えば新聞などでは、取材記事に人的コストを割くため、市況やスポーツのスコアを伝える記事をAIが制作。テレビ業界では、テレビ局の開発したモザイクかけや文字起こしのAIソフトが、制作会社のアシスタントディレクターの長時間単純労働を代替しはじめている。

 一方で、生成AIという創造性をもつテクノロジーは、人間の仕事に浸食しつつもある。森崎氏は、AI時代のクリエイターの労働に関する法整備においては「著作とは何か」「著作者人格権は何か」といった再定義が必要だと主張。また、フリーランスと契約する企業は取引のガイドラインやAIに関するガバナンスを作るべきだとした。

 新聞や出版、ウェブメディアでは、メディア企業の経営不振により人件費削減が優先され、低コストのフリー素材や生成AIを使いたがる編集者が増えている。スポーツ新聞などでは現在、PVを稼ぐためにテレビなどの内容を露悪的にまとめた「こたつ記事」が量産されているが、今後はそこにAIを使う可能性も出てくるだろう。その現状に浜田氏は「人が働く喜び、物を作る喜びが失われつつあると感じる」と警鐘を鳴らす。

 他方で池田氏は、AIによる単純労働の代替が、単純労働を好む、得意とするフリーランスや障害者雇用の労働者の賃金が下げてしまう危険性にも言及した。

 多様でインクルーシブな社会の実現が求められる中で、メディア産業は今、資本主義的な利潤の追求だけでなく、どんな価値を生む業界であるべきなのかを真剣に考える段階に来ていると言えるだろう。

報告者:有馬ゆえ(ライター)

『いいね!ボタンを押す前に』刊行記念イベント第1弾「わたしたちの知らないインフルエンサー」報告

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  • 日時:2023年3月1日(水)19:30~21:00
  • 形式:ハイブリッド
       <会場> 読書人隣り(東京都千代田区神田神保町1丁目3-5 冨山房ビル6階)
       <オンライン> Zoomウェビナー
  • 言語:日本語
  • 主催:亜紀書房 & MeDi
  • 共催:東京大学Beyond AI研究推進機構B’AI Global Forum

 

 2023年3月1日、「メディア表現とダイバーシティを抜本的に検討する会(MeDi)」のメンバーによる2冊目の書籍『いいね! ボタンを押す前に——ジェンダーから見るネット空間とメディア』(亜紀書房、2023年1月刊行)の刊行記念イベント第1弾が神保町の会場とオンライン同時配信のハイブリッドで開催された。MeDiと亜紀書房の主催、東京大学B’AI Global Forum共催で開催された本イベントでは、著者8人のうち、序章と特別対談を担当したエッセイストの小島慶子氏、第3章「なぜSNSでは冷静に対話できないのか」を執筆した東京大学大学院情報学環教授の田中東子氏、第4章「なぜジェンダーでは間違いが起きやすいのか」を共同執筆したジャーナリストで東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授の治部れんげ氏の3人が登壇し、「わたしたちの知らないインフルエンサー」というテーマで自身のメディア経験を交え議論を行った。

 冒頭、今回刊行された『いいね! ボタンを押す前に』について、企画背景を含め簡単な紹介がなされた。スマートフォンを手にしたことで誰もがメディアになる今日、一人ひとりに発信者としての責任をきちんと意識することが求められている。さらに、「一億総メディア時代」を可能にしたネットという空間がいったいどういう仕組みで動いているのか、それは個人や社会にどのような影響を与えており、どのような権力を行使しているのかについてもしっかり考える必要がある。本書は、このようなメディア時代を生きる上での入門書として企画されたという。

 そして、ネット空間の経済的構造やオーディエンスが受ける影響、ネットにおける世論のあり方などを考える上で一つの切り口となるのが、本イベントのテーマでもある「インフルエンサー」という存在である。近年、インフルエンサーと呼ばれる人たちがSNSをはじめとするネット空間で多様な活動を繰り広げている。しかし、オールドメディア時代の著名人とは違って、ある世界では圧倒的な知名度と発言力を誇る人が違う世界では全くの無名であることも稀ではない。その点で、今日のインフルエンサーとはネットという空間がいかに分断された世界であるかを示すシンボリックな存在ともいえる。このようなインフルエンサーたる人たちはどうやって生まれるのか。

 そこで登壇者は、ネット空間で誰もがついやってしまいがちな「いいね」ボタンを押すという行為に注目。誰かの書き込みへの賛同や支持を表すこの行為は、しかしそんなに単純な事柄ではないと指摘する。何気なく押してしまう「いいね」は、誰かに「1」という数を与えることでその分の力を付与する行為なのである。さらに、ネットにおける炎上や誹謗中傷が相次ぐ近年において「いいね」を押すことは、ある時は加害に加担することになり、ある時は知らないうちに自分を傷付けることにさえなり得る。そしてこの「いいね」をたくさん集めた人はインフルエンサーと名付けられネット空間で大きなパワーを得ていく。

 この日、モデレーターを務めた治部氏は、ネット時代になりSNSを中心にインフルエンサーという存在が登場したことでメディア界とアカデミアではどのような変化が起きたかについて、小島氏と田中氏それぞれに尋ねた。まず、30年近くテレビやラジオの仕事を続けており、その途中でツイッターなどSNSの普及を経験した小島氏は、オーディエンスとのラリーが非常に速くなったことがSNS時代になっての最も大きな変化だと述べた上で、過去と違ってマスメディアに出演しなくても数百万人のフォロワーがつく人たちが登場し新たにパワーを持つことが可能になり、それによって日本の芸能ビジネスも大きく変わってきていると説明。一方で田中氏は、従来のアカデミックな雑誌では書き手がほとんど男性だったがSNS時代になってからオーディエンスの支持がネット上で可視化されるようになったことで女性の書き手への仕事の依頼が増えたことは大きな変化であるとしながらも、ただ今度は「いいね」の数が絶対的になりすぎて、根拠が怪しい発言でも「いいね」がたくさん付けばあたかも真実であるかのように受け入れられてしまうという負の側面もあると指摘した。そこで小島氏は、本の中で対談した経済学者の山口真一氏による「ネット世論は世論ではない」ということばに言及。山口氏の研究によれば、ツイッター上でネガティブな発言をするのは実はユーザー全体の0.00025%に過ぎないという。それなのに、そのような発言が広がり炎上すると、それが「世の中の声」であるかのように見えてしまうのである。SNSを見て「みんなこう言っている」と思いがちだが、この「みんな」というのは全く「みんな」ではないし、「いいね」がたくさん付いたとして信頼して良いわけでもないので、ネット時代においては「数字に対するリテラシーを付けること」がますます重要になってくると小島氏は強調する。

 このように、ネット上で起きていることの真偽や世論の実態についてはまだまだ検証が必要な部分が多いのだが、それにもかかわらずネット炎上やインフルエンサーなどのインパクトがますます強まっていくのはなぜだろうか。登壇者は、既存メディアによるネットの扱い方が一つの要因であると指摘する。近年、ネットで盛り上がった話題がテレビと新聞で取り上げられることや、SNSのインフルエンサーがテレビに出演したり新聞で発言することが増えてきている。その中にはニュース価値や信憑性の面で疑わしいケースも含まれているが、既存のメディアがこれらを取り上げることでお墨付きを与えてしまっているという。ネタ探しのための過度なSNS依存、数字(視聴率やページビュー)目当てに極端な発言をするインフルエンサーの起用、そしてネット炎上に油を注ぐような報道ぶりなど、昨今の既存メディアについて様々な問題が指摘された。

 ただ、ここまで「いいね」で象徴されるネット上の世論らしきものについて批判的に語られてきたが、そこにある価値やSNSをはじめとするネット言論空間の意義が一概に否定されたわけではない。小島氏が述べたように、今まで政治の場で意見を聞いてもらえなかった人たちがネットで誰かを支持することによって力を得られ存在を可視化されることもあるし、その人たちの支持によってインフルエンサーになる人も確かにいる。また、治部氏によれば、政権与党に対する反対意見が即時に伝わり対応が求められるということはSNS以前の時代には不可能だった。一方、田中氏は、ネット炎上という言説が広まったことで、ある社会問題へのまともな指摘や是正を求めるまとまった声までもがただの「炎上」と軽んじられてしまうこともあると指摘した。

 このように両義性をもつネット言論空間だが、現代社会において、また民主主義において欠かせないメディアになっているからには、なんとかうまく付き合っていかなければならない。そのためにいま何が必要なのか。登壇者は、SNSのメカニズムやそれが私たちの体や心や欲望に与える影響についてしっかり議論すること、そして、ネットメディアはまだ黎明期なので今のうちにきちんとルールをつくり少しずつ設計し直していくことが重要だと述べた。また、田中氏は、意外と大事なものとして「エチケット」を挙げた。法や規制などではなく、参加する一人ひとりがこの空間を維持するための最低限の礼儀を持つことが必要だということである。さらに、SNSばかり使うのではなく、対面で人と人がきちんと話し合う場と組み合わせながら議論の空間を築いていくことが重要だとの見解も示された。

 この議論は、「Web3.0やAIや仮想空間がますます進化する現代において、それでも人間同士がネット社会で心地よく共存するためにはユーザー側にどのような心掛けが必要か」という参加者からの質問によってさらに続けられた。小島氏は、再び山口氏との対談を振り返り、メタバースなど、生身の体を離れたところで他人と出会うことが当たり前になっていく中で必要なのは意外にも「哲学」だという山口氏の見解に非常に共感したとし、「何が価値があり、何が私たちを豊かにし、何が私たちにとって尊いのか。一人ひとりがメディアになる時代なのでその一人ひとりがメディアを運営する上での哲学を持ってほしい。デジタル技術が進めば進むほどそのような原点が不可欠になる」と、山口氏との対話を通じて得た気づきを語った。

 今回のイベントは、インフルエンサーという切り口から入って、ネットと既存メディアの関係、そしてネット空間との上手な付き合い方にまで議論が広がった非常に興味深い時間となった。アテンション・エコノミー、すなわち、人々の注意と関心に値段がつけられ、フォロワー数もページビューの数もユーザーのウェブサイト滞在時間も経済価値に換算されるようなネット空間の仕組みに呑み込まれないためにはどうすれば良いか、オーディエンスでありながら発信者でもある一人として考えさせられる貴重な機会となった。


報告者:金 佳榮(東京大学大学院情報学環 特任研究員)

『いいね!ボタンを押す前に』刊行記念イベント第2弾「伝統的メディアがネットに呑み込まれないためには」開催のお知らせ

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「メディア表現とダイバーシティを抜本的に検討する会(MeDi)」では、『いいね! ボタンを押す前に——ジェンダーから見るネット空間とメディア』(亜紀書房、2023年1月刊行)の刊行記念イベント第2弾を、2023年3月30日に開催いたします。開催情報の詳細は下記の通りとなります。

◇開催情報

  • 日時:2023年3月30日(木)19:30~21:00
  • 参加方法:<会場参加>と<ライブ配信視聴>の2つがあります。

         参加方法の詳細や申し込みについてはこちらをご覧ください。

        ※本イベントは有料となります。

  • 言語:日本語
  • 主催:亜紀書房 & MeDi
  • 共催:東京大学Beyond AI研究推進機構 B’AI Global Forum



◇登壇者

李美淑(東京大学大学院情報学環准教授)

白河桃子(相模女子大学大学院特任教授、昭和女子大学客員教授、ジャーナリスト、作家)

浜田敬子(ジャーナリスト)

林香里(東京大学大学院情報学環教授)

 ※出演者は変更になる場合があります。



◇趣旨

メディアはデジタル上が主戦場になっているとはいえ、いま新聞やテレビといった伝統的メディアはネット世論を過剰に気にしすぎてはいないか。
一方で、ネットで炎上することが予想されるのに、いやそれをむしろ期待して、記事を投下してはいないか。

どんなメディアもデジタル上での生き残りを模索しなければならない今、ネット世論と健全に共存できる道はないのだろうか。
メディアは何をどのように伝え、また伝えないのか。意思決定はどのようにされているのか。
伝統的メディアに慣れていない若い世代にささるにはどのようなコンテンツを作り、届けていく必要があるのか。

──「いいね!」ボタンの不用意な拡散にメディアが手を貸さないためにも、ネットとメディアの健康的な関係を考える。



◇お問い合わせ

金 佳榮(東京大学大学院情報学環 特任研究員)
kayoungk[at]g.ecc.u-tokyo.ac.jp([at]を@に変えてください)

『いいね!ボタンを押す前に』刊行記念イベント第1弾「わたしたちの知らないインフルエンサー」 開催のお知らせ

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この度、「メディア表現とダイバーシティを抜本的に検討する会(MeDi)」では、『いいね! ボタンを押す前に——ジェンダーから見るネット空間とメディア』(亜紀書房、2023年1月刊行)の刊行を記念し、全2回のトークイベントを開催することになりました。その1回目の開催情報を下記の通りご案内いたします。



◇開催情報

  • 日時:2023年3月1日(水)19:30~21:00
  • 参加方法:<会場参加>と<ライブ配信視聴>の2つがあります。

         参加方法の詳細や申し込みについてはこちらをご覧ください。

        ※本イベントは有料となります。

  • 言語:日本語
  • 主催:亜紀書房 & MeDi
  • 共催:東京大学Beyond AI研究推進機構B’AI Global Forum



◇登壇者

小島慶子(エッセイスト、東京大学大学院情報学環客員研究員)

治部れんげ(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授)

田中東子(東京大学大学院情報学環教授)

※出演者は変更になる可能性があります。



◇趣旨

以前だったら、有名人は自然と目にするものだった。

しかし現在では、自分が見ているメディア、よく使うSNSとは〈異なるネット空間〉で活躍する「自分が知らない有名人《インフルエンサー》」がたくさん存在する。

彼らはどんな人なのか、そしてどんな影響力を持つのか、みんな知らないうちに影響を受けているものなのか。そしてある日突然、テレビや雑誌で見かけるようになるインフルエンサーは、誰がどのように選んでいるのか──。

アテンション・エコノミーなど、強力なインフルエンサーを生むネット構造と旧メディアとの関係についても考察。

テレビに携わっている人と研究者を交え、「いいね!」を押す前に考える、あなたの隣のインフルエンサー。



◇お問い合わせ

金 佳榮(東京大学大学院情報学環 特任研究員)
kayoungk[at]g.ecc.u-tokyo.ac.jp([at]を@に変えてください)